STORY
医師になったきっかけと生い立ち
私は父親の実家が近い山梨県韮崎市で生まれました。
父親の転勤の都合で9歳の時に長野県上伊那郡箕輪町に引っ越しました。小学校6年生の時に頻回の血便や腹痛があり、色々な病院やクリニックに通院し、「潰瘍性大腸炎」と診断されました。
潰瘍性大腸炎とは、大腸の粘膜にびらんや潰瘍ができる大腸の炎症性疾患で、頻回な下痢や血便、腹痛などを繰り返すことが多くなり、日常生活に支障がきたされる難病です。当時はこの疾患に対する認識があまりなく、症状が出てから数ヵ所の病院やクリニックを受診し、大腸内視鏡検査でようやく「潰瘍性大腸炎」と診断されました。
この疾患は「特定疾患(いわゆる国が認定する難病)」に指定されていることもあり、しばらくは私や家族も大きな不安を抱えていました。 しかし、主治医の先生が詳しく病状や治療方針を説明してくださり、私たちにきちんと寄り添ってくれたおかげで、本当に安心して前向きに治療を受けることができるようになりました。
その時の主治医の先生に憧れ、「不安を抱える患者さんや家族に寄り添うことができ、心の底から安心して医療を受けてもらえるような医師になりたい」と思うようになりました。 そして、その後も医師になりたいという思いは変わらず、日々努力を重ねて国立熊本大学医学部に入学することができました。
大学在学中、潰瘍性大腸炎が悪化し、とうとう手術を受ける事になりましたが、手術後は体調も非常に良くなり、オーストラリアに語学留学することもでき、大好きだった野球もできるようになりました。体格ががっちりしているので、「潰瘍性大腸炎で手術したとは思えない」とよくみんなに言われます。 小さい頃からの夢であった医師となり最初の2年間は初期臨床研修として、内科・外科・小児科・産婦人科などの様々な科で医師としての基礎を勉強して、最新の知識や技術の習得に努めてきました。
研修病院は救急指定病院だったため、ほとんど休みなく365日働き、多くの患者様を診ることで医師に必要な知識と技術を学びました。
3年目からは子供の頃から何度も検査を受けて、興味があった胃・大腸内視鏡を専門にしたいと考え、世界有数の内視鏡専門施設である「昭和大学横浜市北部病院 消化器センター」に入局しました。そこは、食道がん、胃がん、大腸がんの早期がん・進行がんを問わず数多くの症例が日本全国から集まってきており、内視鏡検査・治療件数も世界トップクラスでした。
長年の内視鏡検査・治療経験を通じて、苦しくなく痛みの少ない「内視鏡操作」や的確な治療ができる「技術力」および、病変を見逃さず、正確な診断ができる「観察力」を修得してきました。胃がん、大腸がんはがん死亡数で男女ともにTOP3に入る疾患ですが、早期発見・早期治療をすればほぼ死亡することがない病気です。
また、食道がんは罹患率(病気にかかりやすいかどうかの割合)こそ低いですが、外科的手術は体への負担がとても大きく、手術後の合併症も多く、内視鏡治療ができる早期の段階で発見すべき病気だと実感しています。
これらの病気は、定期的に質の高い内視鏡検査を受けることで、予防や治療ができます。
研修病院は救急指定病院だったため、ほとんど休みなく365日働き、多くの患者様を診ることで医師に必要な知識と技術を学びました。
3年目からは子供の頃から何度も検査を受けて、興味があった胃・大腸内視鏡を専門にしたいと考え、世界有数の内視鏡専門施設である「昭和大学横浜市北部病院 消化器センター」に入局しました。そこは、食道がん、胃がん、大腸がんの早期がん・進行がんを問わず数多くの症例が日本全国から集まってきており、内視鏡検査・治療件数も世界トップクラスでした。