STORY
医師になったきっかけと生い立ち
私は転勤の多いごく普通のサラリーマン家庭に生まれ、その時の父の勤務地が東京であり、社宅のあった横浜市緑区鴨居の地で誕生しました。 私が生後8ヶ月の時に父が不幸にも交通事故で亡くなったため、母の実家である大分県別府市に移り住み、そこで育ちました。
幼少時に扁桃腺炎や中耳炎になる事が多く、幼稚園の時から本格的に水泳を始めたものの、病院に通う機会が多くありました。 その際に診てくれていた小児科や耳鼻咽喉科の先生達に会うと不安な気持ちが取れ、先生達の笑顔だけで、病気でつらい気持ちが楽になることに驚きを感じ、小さいながらも医師という職業に“あこがれの念”を抱くようになりました。
その頃から、「自分も、不安な気持ちの患者さんを少しでも楽にできて、役に立てるような医師になりたい」と思うようになり、その思いは小学校・中学・高校と進む中でも全く変わる事がなく、家庭の経済的事情から私立の医学部には行くことができなかったため、懸命に努力をして1年間の浪人生活の末、国立佐賀大学医学部に入学することができました。
大学卒業後は、大学病院を中心として地域の各病院で医療技術の修得に励みました。その中で、早く医療技術を高めていきたいとの思いが強く、積極的にいわゆる“休みがなく、みんなが勤務するのを嫌がる忙しい病院”を希望して勤務するようにしてきました。医師としての転機となったのは、高度救命救急医療を行っている3次救命救急病院に3年間勤務したことでした。
この病院は24時間365日休みなく、救急車が1日に30台以上もやってくるような地域医療を支えている病院でした。多いときで1ヶ月に100回近く急患の対応のため夜間呼び出しがあり、寝る間も惜しんで24時間・365日働きました。 この病院で勤務したことが、“医師としてやっていけるという自信が確信に変わった”ときでした。
その後は、多数の症例数を誇る国立がん研究センター中央病院内視鏡部(旧国立がんセンター中央病院)などで内視鏡診断や内視鏡治療の修得に励んでまいりました。
今まで修得した医療技術や医療知識を健康意識の高いこの地域のみなさま方を中心に、つらい内視鏡検査のため検査を避けてきた全国各地の皆様方に少しでも還元し、健康で長生きしていただき、笑顔のいっぱい溢れる世の中になることに貢献したいという思いで、日々一生懸命、スタッフと力を合わせて診療しております。